はい どうも。
忘れたころに更新します、じんじんのいいかげんブログです。
10月に入り、そろそろ今年も妖怪検定の時期になりました。
上級試験の内容は論文形式、しかもお題は当日発表と、少々苦行的な試験ですが、
昨年私は見事合格しまして、拙文ながら 今後受験する方々のために その時の論文を掲載したいと思います。
前々回、妖怪と幽霊といったような、ザックリとしたテーマで臨んだのですがその時のお題は
「水木しげるの描く妖怪を民俗学的考察を踏まえて論ぜよ」といったもので、全くヤマが外れ不合格でした。そこで今回は一体の妖怪に絞り勉強しようと思いましたが、せっかく長野県からはるばる境港に行くわけですので、ヤカンズル、駒ケ根のしっぺい太郎、八面大王、戸隠の鬼女紅葉、飯縄権現などといった ご当地妖怪で挑戦することに決め、さらにテーマを深読みし 鬼や天狗、河童などといった大雑把なくくりでも行けるように 鬼に的を絞り、山岳宗教とも関係が深く、資料なども充実している紅葉ちゃんに決めました。
何より、大義名分で戸隠蕎麦を食べに行けるというおまけもつきますし。
『戸隠山鬼女紅葉考』
私の住む長野県には、二つの有名な鬼伝説が残っている。地元安曇野に伝わる八面大王
魏石鬼と今回のテーマ戸隠の鬼女紅葉である。
現在広く一般に知られる紅葉の物語は、能「紅葉狩」や歌舞伎の題材にもなった伝説を元に明治時代に発行された「北向山霊顕記鬼女紅葉退治之伝」に拠るものである。 これは、平安のころ妖術を使い地元を荒らし回る鬼女紅葉一党を、勅命により将軍平惟茂が霊剣をもって討伐する話であるが、この時代、先に挙げた魏石鬼や大江山酒呑童子、奥州の悪路王、鈴鹿山の鈴鹿御前など朝廷に逆らう鬼や土蜘蛛といった妖怪を討伐する話が数多く存在する。
しかし、戸隠の隣の鬼無里村にはもう一つの紅葉伝説が残っている。「紅葉さま」とさえ呼ばれる彼女は、京から流された高貴な女性で里人に中央の文化を伝えたりまじないをもって病気を癒したりと村における大恩人と評価されている。 紅葉の悪業についてもとても同情的で、彼女の不思議な霊力に目を付けた者共に唆された悲劇の貴種流離譚として、今も毎年盛大に供養されているのである。
鬼女として葬られ、貴女として敬われる。 紅葉とは一体何者であったのだろうか。
まず注目したいのは両者とも大変優れた呪術師であったということである。 彼女の菩提寺である鬼無里村松厳寺に残る絵巻には、白衣に緋袴という明らかな巫女装束をまとい、人々を癒したり、炎を操り戦う姿が描かれている。この事から紅葉とは並外れた力を持つ巫女、それも正道から離れた民間呪術を扱う「歩き巫女」と呼ばれる女性シャーマンだったと考えられる。
卑弥呼などに代表されるように、古代日本において巫女は祭祀を司る大変重要な指導者であった。しかし男権社会へと時代が変わっていくにつれ、シャーマニックな習俗は否定されていく。女性シャーマンを中心とした原始宗教は未開の土俗文化と見られたのである。
皇室の祖先天津神を奉じる「神道」や、国家鎮護を祈る「仏教」に与しないもの。つまり、
「反逆者」=『鬼』として討伐されたのである。
また、山を根城とする盗賊団の女首領だったのではないかという説もある。 坂上田村麻呂
に討伐された鬼女鈴鹿御前も、立烏帽子を目深にかぶった白拍子の姿で描かれる女賊であったとされる。彼女もまた、魔王の申し子として産まれたり、神通力や三振りの宝剣を操るなど紅葉との共通項も多いのである。
このように、朝廷に逆らう賊徒あるいは土着民は十把一絡げに「土蜘蛛」と呼ばれ、やはり討伐の対象とされた。 そして かなりの数の土蜘蛛の首領が女性なのである。
漂泊の身を余儀なくされた歩き巫女。
あるいは国家より迫害された先住民の末裔。 いずれも「まつろわぬ者」として討伐される悲しき辺境の女性シャーマン。 それこそが、千年の時が経っても地元で崇拝され続ける
紅葉伝説の現像であったのではないだろうか。
『了』
今回は字ばっかりです。
忘れたころに更新します、じんじんのいいかげんブログです。
10月に入り、そろそろ今年も妖怪検定の時期になりました。
上級試験の内容は論文形式、しかもお題は当日発表と、少々苦行的な試験ですが、
昨年私は見事合格しまして、拙文ながら 今後受験する方々のために その時の論文を掲載したいと思います。
前々回、妖怪と幽霊といったような、ザックリとしたテーマで臨んだのですがその時のお題は
「水木しげるの描く妖怪を民俗学的考察を踏まえて論ぜよ」といったもので、全くヤマが外れ不合格でした。そこで今回は一体の妖怪に絞り勉強しようと思いましたが、せっかく長野県からはるばる境港に行くわけですので、ヤカンズル、駒ケ根のしっぺい太郎、八面大王、戸隠の鬼女紅葉、飯縄権現などといった ご当地妖怪で挑戦することに決め、さらにテーマを深読みし 鬼や天狗、河童などといった大雑把なくくりでも行けるように 鬼に的を絞り、山岳宗教とも関係が深く、資料なども充実している紅葉ちゃんに決めました。
何より、大義名分で戸隠蕎麦を食べに行けるというおまけもつきますし。
『戸隠山鬼女紅葉考』
私の住む長野県には、二つの有名な鬼伝説が残っている。地元安曇野に伝わる八面大王
魏石鬼と今回のテーマ戸隠の鬼女紅葉である。
現在広く一般に知られる紅葉の物語は、能「紅葉狩」や歌舞伎の題材にもなった伝説を元に明治時代に発行された「北向山霊顕記鬼女紅葉退治之伝」に拠るものである。 これは、平安のころ妖術を使い地元を荒らし回る鬼女紅葉一党を、勅命により将軍平惟茂が霊剣をもって討伐する話であるが、この時代、先に挙げた魏石鬼や大江山酒呑童子、奥州の悪路王、鈴鹿山の鈴鹿御前など朝廷に逆らう鬼や土蜘蛛といった妖怪を討伐する話が数多く存在する。
しかし、戸隠の隣の鬼無里村にはもう一つの紅葉伝説が残っている。「紅葉さま」とさえ呼ばれる彼女は、京から流された高貴な女性で里人に中央の文化を伝えたりまじないをもって病気を癒したりと村における大恩人と評価されている。 紅葉の悪業についてもとても同情的で、彼女の不思議な霊力に目を付けた者共に唆された悲劇の貴種流離譚として、今も毎年盛大に供養されているのである。
鬼女として葬られ、貴女として敬われる。 紅葉とは一体何者であったのだろうか。
まず注目したいのは両者とも大変優れた呪術師であったということである。 彼女の菩提寺である鬼無里村松厳寺に残る絵巻には、白衣に緋袴という明らかな巫女装束をまとい、人々を癒したり、炎を操り戦う姿が描かれている。この事から紅葉とは並外れた力を持つ巫女、それも正道から離れた民間呪術を扱う「歩き巫女」と呼ばれる女性シャーマンだったと考えられる。
卑弥呼などに代表されるように、古代日本において巫女は祭祀を司る大変重要な指導者であった。しかし男権社会へと時代が変わっていくにつれ、シャーマニックな習俗は否定されていく。女性シャーマンを中心とした原始宗教は未開の土俗文化と見られたのである。
皇室の祖先天津神を奉じる「神道」や、国家鎮護を祈る「仏教」に与しないもの。つまり、
「反逆者」=『鬼』として討伐されたのである。
また、山を根城とする盗賊団の女首領だったのではないかという説もある。 坂上田村麻呂
に討伐された鬼女鈴鹿御前も、立烏帽子を目深にかぶった白拍子の姿で描かれる女賊であったとされる。彼女もまた、魔王の申し子として産まれたり、神通力や三振りの宝剣を操るなど紅葉との共通項も多いのである。
このように、朝廷に逆らう賊徒あるいは土着民は十把一絡げに「土蜘蛛」と呼ばれ、やはり討伐の対象とされた。 そして かなりの数の土蜘蛛の首領が女性なのである。
漂泊の身を余儀なくされた歩き巫女。
あるいは国家より迫害された先住民の末裔。 いずれも「まつろわぬ者」として討伐される悲しき辺境の女性シャーマン。 それこそが、千年の時が経っても地元で崇拝され続ける
紅葉伝説の現像であったのではないだろうか。
『了』
今回は字ばっかりです。
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by jinjin-futaba
| 2013-10-16 15:35
| 妖怪のこと